ハピネスとカルマの関係性

生きてりゃあ色んなことがあってしんどくなったりするもんで、人によって感じ方も違ければ置かれてる場所も違う。
幸福とは何ぞや、と考えてみたりしても答えは恐らく死んでもでない。
仮に見つけるとすれば、幸福を感じてる時にはそれを幸福とは認識出来ない、と思うほかないな。
今しんどいと思ってることについては、以前は少なくとも「今よりは幸福であった」事実があるから、しんどいなと思うだけで。


相対的にしか発見できない、それは自分の心の中の動き以外にも他人との比較で生まれてきたりする。
でもそこでひがんだり、妬んだり、嫉んだりしたって仕方あるまい。自分に降りかかってきてるものは、多分自分のものなんだろう。
それが過去の自分のせいなのか、未来の自分のせいなのかは定かではないが。
それこそお手柄を誰かに納めてるような感覚になりそうだが、神だの運命だの便利な見えないものではなく
どの道自分だと思うと少しすっきりする。嫌な思いはツケを払っているのだと思う。幸せ貯金、カルマというやつですな。


未来の自分なら先払い、過去の自分なら後払い方式をとってるだけだ。
殆どの人間は後払いだと思うけどな。過去にしてきたことがまずかったなあ、なんて思わない人はいないし絶対。
こういうことを考えてると正当化しようと必死なんじゃないか、と勘ぐってみるものの
それを否定すると、生きてるのさえ不自然な感じがする不思議だらけの生命を冒涜してるような感覚にもなる。
結局その答えをつけてあげるのは自分自身なのだが。悪さをすることや、ズルをすることも自分の裁量でどうにもなる。
ルールを守るかどうかも、その人の人間性にかかってくるし。まあ、守らないと必ずこうなるという確証もないからな。
ルールを侵そうとしないひとが多いのは、見えない結果を体で感じてるからってのがデカそうですけどね。
時には破らないと大きくなれないのもまた一つの正解でしょう。


病んでくるとろくなことねえな。相変わらず歌詞書けません。