クリエイター

日記を改めてつけ始めてから三日。誰に言うでもなく書いてますが最初に気づくのは一体誰なんだろう。
まあ、こういうの恥ずかしいから気づかなくてもいいんだけど。あ、でも気になったりしたらコメントされたりすると嬉しいです。そういうもんです。


よし、今日の話。
作業という作業は一つもこなしてない。というか、こなせてない。
いろいろやりたいことがあるにはあるんだけど、興味があちこちに行ってしまい一つも潰せない。
今月中にもう1曲くらいは録音してしまいたいんだけど。
いつもつまづくのはイントロと間奏の位置(もしくは有無)。


割と規則的に「イントロがあってAメロがあって、Bメロ入ってサビだ、そして2番がきて間奏でソロだ」みたいな
そういう考え方ってつまんないなと思ってる一方で、バンドの音というか、歌モノ音楽としての基本的なルールを勝手に刷り込んじゃってるからか
そこからずれてくると「果たしてこれでいいんだろうか、なにか違うんじゃないか」と疑念をいだいてしまう。
多分そのルールからハズレて全然構わないんだろうけど、決断力に欠けるから迷うんだよな。


コードの使い方一つとったって、簡略化しすぎると「つまんない単調になるんじゃない?」とか
コードワークを激しくしてみると今度は「無理して頑張ってるみたいでださくないか?」とか
基本的なコードで曲ができてしまうと「やっぱ簡単すぎるんじゃ?」とか
小洒落た複雑なコードネームのものを使うのもさじ加減ってものがあるしなあ。


まあアマチュア風情の俺が誰かに求められてるわけでもなく、こんなに考えるのは滑稽そのものなんだけどね。
だけどやっぱちゃんと自分がしっくりするもの、ぐっとくるもの作らないとやってて気持ちよくないじゃん。
本気でやるって言うのはそういうことなんじゃないかなあと。


話が少し逸れるけど、音楽だけに限った話じゃなく「夢は追うけど欲しいのは"肩書き"」ってやつがすごい嫌い。
俺に嫌われたって「あっそう」って話だと思うが、俺は腹が立つ。
創作物を作るってことは、肩書きへのプロセスじゃないだろ。世の中には「クリエイター」って職業というか肩書きとかあるけど
あんなの都合がいい言葉だよね。クリエイターって自称してる人が何をクリエイトしてるのか俺にはわからん。
漫画をクリエイトしてるなら漫画家だし、曲をクリエイトしてるなら音楽家・ミュージシャンとかでしょ。
各々にちゃんと名前があるのに敢えて「クリエイター」とか言っちゃうのはきっと、自分が何をクリエイトするのかわかってないんじゃない?
夢はクリエイターです、うーん。すごくバカっぽい。
大きく語るならちゃんと名前で呼べばいいのに。お茶にごして何がしたいんだろう。しょぼい自尊心の保護かね。


俺は好きで音楽やったり、考えたり、時間や金を費やしてるけど
他の世界でも本気でやってる人は多分同じくそのものに縛られてると思うのね。
縛られることってのは例えば好きなひとになら、そこまで苦じゃない。まあ苦になってばーっと言ってしまうこともあるけど。だからあくまで「そこまで」なのだが。
多くの時間やお金を使って、夜も眠れず考えて、ひとりさみしく追求して、かっこよく言うと葛藤して
そうやってやっていけるものだと思うんだよなあ。好きなことで飯を食うって。


軽はずみにアメリカンドリームっていうか、ビッグチャンスの到来を待ってるだけみたいな人は気に食わんなあ。
建設的じゃないよね。非生産的。
こんなところで文句を言ったところで「うるせーばーか」で終わるんだろうが。
本当に好きなことをいろんな問題抱えながら真面目にやってる人が、美味しくご飯が食べられる世界だったらどんだけいいか。
そんなことは絶対に有り得ないから、罵り合ったり騙し合ったりするんだろうけど。


夢を追う人間でも、大事に育てられた人の夢は心から祝福できるが
そうじゃないやつのはさっさと壊れろ、って思ってしまう俺は荒んでるな。
まあ、いつの日か日の目を浴びることがあれば、顰蹙かいそうだけど大声で言ってみたい。
バッタモンの情熱じゃなくて、本物の熱を持った人と音楽においても関わりたいな。
いままであんまりそうじゃなかったから。


居るのかなあ。居るとおもうんだけどなあ。少しだけ信じたいんだがなあ・・・


ああ、そういえば「田中牛乳」読みきりました。
グレイプバインが昔はすごく輝いてたんだな、ってことがよくわかる本でした。
いや俺は今のほうが好きだけどね。「twangs」は去年一番良かったCDだったなあ。
バンドの楽しさ、っていうものを感じてみたいなあとまた一段と思った。
書きたいこと想ったこといっぱいあるけど、もうここまで長くなってるからまた機会があれば!

さて、次は何を読もうかな。

グレイプバイン/田中和将の「田中牛乳」
Twangs